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東京家庭裁判所 昭和32年(家)10804号 審判

申立人 松本良順(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

一、本件申立の要旨は申立人の氏「松本」を「救護」に変更するについての許可を求めるというのであって、その理由とするところは以下の通りである。

一、申立人松本行栄は天台宗山門派△△寺住職であり、申立人桃代はその妻である。申行人行栄(以下申立人と略称する)は幼時父母を失い千葉県下にある義兄の寺に引取られて小学校に通つているうち、その頃紹介する人があって、○草寺にうつり、救護順海僧正の膝下にて修業をしてきたものである。

一、救護僧正は当時の○○○○寺門跡住職北白川宮殿下よりその姓を贈り、○○寺二代住職を勤めたものである。

これらの事情から天台宗では救護という姓を永久に残こそうとして申立人が中学校を卒業すると同時に養子に迎えられることになり、申立人の名も順海の順の一字を貰い、良順と改め、したしく師事してきたものである。

ところが昭和三年三月申立人が中学を卒業するや、その月十三日に救護僧正は発病し、翌日死亡したので、遂に養子縁組はできなかつた次第である。

一、右の事情であるから申立人も予てから「救護」に改姓を意企していたところ、申立人の応召と又救護順海の戸籍が判らなつかたので長引いたのであるが、今度救護僧正の実家の諒解を得、又○草寺住職清川恭栄の賛同を得て本件申立に及んだものである。

一、その他改姓を相当とする事情としては、救護師は天台宗山門派の三昧流を継承したものであるが、その法流を継承するのは、血脈相承によるのであり、それには得度受式、加行、秘法伝授をうけることが必要であるがその外法流を継承する者は被継承者の姓を名のることが天台宗における明治以後の慣習である。その方法としては養子縁組が採用されているが三昧流の正統を継ぐ者がないので○○全山の正統をつぐ申立人をして○○一山の統師として○○寺住職に推したのである。しかし○○寺は門跡寺であつて、その住職になるには僧正に昇進しなければならず僧正になるには救護の姓を名乗ることが実質的要件といわれている。従つて若しこの改氏が許されなければ、三昧流は正統によつて代表されず、その口伝は無に帰することになる。

又申立人は宗派の集会等において、誰の弟子かなどと問われるが、申立人が松本姓のため一一説明しなければならず、宗教界の交際においても、自己を表示するに△△寺の松本では通用し難く、救護の△△寺の松本と云つて始めて通用する場合がある。殊に申立人が△△寺住職に選任せられるに際して救護姓でないため、就任に手まどったこともあり、同様な理由から、○○寺責任役員の改選について、申立人が救護姓でないため、檀信徒及び組寺等関係者からの役員改任の承認を得られないことになる結果、申立人は△△寺より去らなければならないというような事情がある。

一、尚申立代理人の法律的見解としては、改氏については氏を改めなければ生活してゆけないという様な高度のものとは考えられないことである。社会生活上に於て蒙る不便困惑が事実上存在するかぎり而して氏を改めることによつてそれから脱却することができる限り改氏を許可して差支はないと思科するというのである。

以上申立人の縷々申述するところを要約すれば、

(一)  申立人は救護師と養子縁組をすることになつていたが、縁組届出をしない内に救護師が死亡したので、氏を継承したい。

(二)  天台宗においては三昧流の法流を継ぐ者は申立人をおいて外に適当な人がなく、○○寺の住職になるには、僧正に昇進しなければならず、僧正になるには救護氏を名乗ることが実質的要件である。

(三)  自己の表示に「△△寺の松本」では通用し難く、「救護の△△の寺松本」と云つて始めて通用する。

(四)  救護氏を称し得ないときは△△寺の住職の地位を失う。

という点に帰する。

然しながら

(一)  仮りに申立人の云うように養子縁組をすることになつていたとしても、申立人は依然松本氏を以て自己を表示し、救護氏を使用したわけではなく、殊に又事実上の養子としての生活事実もなく、ただ中学校卒業の暁には、養子縁組をするという予約があつたにすぎないのであるから、偶々縁組成立前に養父たるべき者が死亡したため、親子となり得なかつたとしても、それはやむを得ないことであつて、そのため氏だけを養親たるべきであつた者と同一呼称に変更する理由はなくそれを許容することは却つて親族関係を混乱させるだけであろう。

(二)  三昧流の法流を継ぎ、又僧正になるためには、救護氏を称する必要があるという点については、若し仮りに申立人の云う通りの天台宗の慣習があり、且申立人の外にそれを継承する適任者がないとすれば、天台宗においては、申立人が事実上救護氏を使用することを許容すべきであろうし、或は使用を強制すべきであろう。それを裁判所の改氏許可如何によつて、僧正となり且、○○寺住職として法流を継承し、或はその地位を得られないと云うようなことになると、裁判所が宗門内の人事権をもつ結果にもなる。裁判所による改氏の許可不許可は、例えば既に申立人がその云うような事情から宗門内において救護氏を使用することを認められ、且又一般社会においても救護氏を以てのみ自己の表示ができ、松本氏では通用しないというような事情において、始めて改氏許可の当否が判断されることになるだけであり、決して事実に法が先行するものではない。

(三)  尤も申立人は自己表示において「△△寺の松本」では通用せず「救護の△△寺の松本」と云つて始めて通用するというが仮りにその通りであつたとしてもその云うところは、△△寺については、救護を付することにより、よりよく判り易くなるということであつて、申立人自身は依然松本により表示されていること、その申述するところによつても推知されよう。

(四)  (四)の救護氏に改氏されないときには、△△寺住職の地位を失う虞があるという点についても、(二)について述べたところと同一理由により改氏を正当ずける事由にはならない。

凡そ改氏について裁判所の許可にかからしめたのは、個人の自由意思の尊重と呼称上の法律秩序の維持という相容れない法益の調整にあるのである。そうして氏変更意思の基礎をなす変更事由と呼称上の秩序の比較考量において後者より前者を重しとするときには改氏は許可されよう。このことは改名についても云えることである。法は氏と名の変更について区別をしているけれども、その本質において異なるところはない。申立人の法律的見解もこの点にあるのであろうと考えられる。ただ氏は名と異つて現行法下では呼称としての氏の外に、身分的の氏(例えば氏と祭祀承継)と、戸籍技術的な氏(例えば親と未成熟子の同一戸籍)がある点において名と若干相違するから、改氏名理由について一方が「やむを得ない事由」としたのに対して、他方は「正当な事由」と規定したものであろう。ところが氏に呼称としての意味の外に、身分的なものと、戸籍技術的なものがある結果、これが家的身分的なものにむすびついて、今回国民大衆の脳裡から消えないこと、実務上常に経験するところであり、本件についても当に申立人の求めるところは、畢竟自己の身分の伸張発展のための廃絶家再興にも通ずるものである。しかしながら家的なものの挿入は現行法の理念とするところと相反すると共に、消極的に不利益排除のためというよりも積極的な利益追求のためであるとみられる本件改氏理由は法秩序維持との法益の比較考量において、これだけでは改氏するについての「やむを得ない事由」とはなり難い。以上の理由により、本件申立は却下すべきものとする。

(家事審判官 村崎満)

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